風の旅人 - さすらい人のつぶやき

スナフキンのように飄々と生きています

禿ツインズ

禿は「はげ」と読むのではなく、「かむろ」と読む。遊女に使える幼女のことだ。2カ月前、上野のそばにある弥生会館で開かれた展示会で私はその双子に出会った。
 

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球体関節人形と呼ばれるその双子の人形に僕は強く引き付けられ、しばらくその場を動けなかった。この人形に限らず展示されていた人形はいずれもまるで生きて動き出すかのように生命力に溢れていた。特に目が凄い。視線の先に何かが存在するのだ。それもこの世のものではない摩訶不思議な何かが存在している、そんな幻覚にとらわれるような凄まじさだ。
 
あまりに心が動かされたため、その一か月後僕はこの球体関節人形の工房「ピグマリオン」を訪問した。作者の陽月(ひづき)さんともあった。そのときの事はまた後で書くことにしよう。

カルロス・ゴーン氏の逮捕

危機に陥っていた日産をV字回復させ、その後ルノーのトップまで上り詰め、世界有数の経営者の一人となったカルロス・ゴーン氏が逮捕された。罪状はいくつかあるようであるが、その原因としてゴーン氏に権力が集まりすぎたことが挙げられている。昨日のブログに書いたがサイエンスを中心としたビジネスに限界が現れつつある現在、アートをに基づく「美意識」が必要になると書いた。
 
 
ここで一つのジレンマが生じる。「美意識」とは個人の感覚に大きく依存する。したがって「美意識」を十分に発揮させるためには個人の判断を重視せざるを得ないだろう。要するにある意味権力が集中する。したがって内在的に「真・善・美」を判断する「美意識」が欠如していれば不正が起こる余地が広がることになる。
 
 
個人の「美意識」を十分に育てつつ、その「美意識」を十分に発揮させる土壌を作る必要がある、ということなのだろうが、少なくとも日本においてはまだまだ認識が不十分であり、「美意識」の教育、生かせる場が定着するのはまだまだ先のことであろう。

世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか (1)

世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか (1)美意識について書かれた本と言えば、山口周著「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」であろう。長年効率を重視し利益を求めてきた自分にとっても耳が痛い内容であった。著者は今主流になっているサイエンスを重視するビジネスのあり方が行き詰っている現状を以下のように分析している。

 

1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
2.世界中の市場が「自己実現的消費」へ向かいつつある
3.システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している

 

1については情報処理スキルが誰でも使えるようになったこと、すなわち「世界のコモディティー化」とその情報スキルそのものの「方法論としての限界」が関係している。
2の「自己実現的消費」では承認欲求や自己実現欲求を満たすことが必要となり、そのためにはそれらの欲求を刺激するような感性や美意識が重要になる。
3の状況では多くの問題が発生するが、それを防ぐためには明文化されたルールや法律を拠り所にするのではなく、内在的に「真・善・美」を判断するために「美意識」が求められる。

 

要するにこれからのビジネスシーンにおいては、これまでのサイエンスに基づく「スキル」ではなく、アートに基づく「美意識」が必要になるということである。

人魚姫

ある有名な著作家のオーディオブックを聴いていたらコペンハーゲンにある人魚姫の像の話題が出ていました。ほとんどの人が実際の像とは違うイメージを持っているいる、ということらしいです。


 ヒレは腰から下
 へそは出ている
 髪は金髪で長く、その長い髪で胸が隠れている
 両手を岩についていて、横座りをしている


大方のイメージは似たようなものではないでしょうか。


だがこれは実際のコペンハーゲンの像とはかけ離れています。上のイメージは実はディズニーのアニメからきているものなのです。
私たちにはこんな思い違いが沢山あるのでしょう。


さてみなさん実際のコペンハーゲンの人魚姫の像をサーチしてみてください。

結構イメージと違っていてびっくりしますよ。

ブレインロック

 今日は勝間塾月例会に初参加してきました。15分前に到着したところもうすでに会場の約半分の席が占められていました(50人ぐらいかな、最終的に100人近く)。別に参加している中谷塾に比べると人数が多いため、緊張感ほぼゼロ。前に座りたかったんだけどほとんど埋まっていたので後ろの方の席でひっそりとしていました。

 

勝間先生が会場を間違えるというハプニングがありましたが、それすらも今回のテーマ、アウト・オブ・ボックス・ソリューションに結び付けて笑いをとるあたりがさすがです。こういう柔軟性のある発想力、対応力がいろいろな場面で成果をあげるのに一役買っているのでしょう。

 

さていろいろと役にたつ話は合ったのですが、一番印象に残ったのがブレインロックでした。実際に「名刺で割りばしを折れるか?」というお題を実際に試してみる、というものです。名刺と割りばしが配られさっそくみんな試みるのですが、みんなうまくいっていないようです。私はというとすぐ名刺を折り曲げ、隣の席の方に持ってもらった割りばしに手を振り落とすと、あっさり割れました。隣の人と変わったのですが、その方は名刺そのままで割ろうとします。で、割れました 笑  名刺折り曲げなくても割れるんですね。

 

で、名刺で割りばしが割れない、という思い込みがブレインロック、ということです。なるほどな、と感心しました。

 

その一方で「なぜ、みんなは名刺を折って強度を上げることを考えないんだろう」という疑問が沸々と。折らない、という制限みたいなものはなかったはずだし・・・
折ったら割れるだろう、あるいは折るのはずるい、または名刺を折るのは気が引ける、などなどだろうか。それもまたブレインロックでは無いだろうか、などなど。
もし折るのを禁止されるなら、名刺を横ではなく縦に持って割るかな。その方が強度があがるから。

 

ということで、本来の趣旨とは違うことを色々とかんがえるのでした。まあストレングスファインダーの一位が「発想力」だから、そういうことで良しとしよう。

 

決断力とは?

皆さんは「決断力」をどのようなものと考えるだろうか?

デジタル大辞泉によると「自分自身の判断・責任で決断する能力」と定義されている。「決断力」の定義に「決断」という言葉が使われているのはいかがなものかと思うが、ここで注目すべきは「自分自身」そして「責任」という言葉であろう。人の意見で無理矢理下した選択は「決断」とは言えない。また「責任」を伴わない選択もまた「決断」という言葉のイメージから程遠い。

この定義で気に入らないのは「判断」という言葉である。「判断」というと様々なデータや情報から適切な選択をすることではないだろうか。

 

私が考える「決断力」は「判断力」と比較して以下のようなものである(こういうときに対句は便利である)。

 

「判断力」とは「メリット8、リスク2の案」を選択する能力

「決断力」とは「メリット2、リスク8の案」を選択できる能力

 

ここで「自分自身」と「責任」という文脈がいきる。さらにいうならばこの「決断力」をなしうる背景には自分の内なる確信「美意識」の存在が不可欠である。

ヨガの勧め

4日前のこと、ボディパンプというバーベルを使ったトレーニングの最中、腰に違和感を感じました。とりあえず最後までトレーニングをしようと頑張ったんですが、汗が異常に出たことを覚えています。その日は違和感程度で済んだのですが、翌朝がひどかった。激痛とまではいかないまで歩くたびに腰に鈍痛が走る。咳をする時が一番つらく、雷のような痛みが走りました。


二日ほど仕事を休み、静養に専念。昨日は恐る恐る仕事場に出掛けました。さて、大分痛みがひいた今日は帰りにヨガに出向きました。もし、途中で違和感を覚えたらすぐ止めるつもりで無理をせず慎重にポーズをとります。この3日間で人間の一つ一つの動きの際、いかに腰を使っているかを痛みによって知ったのですが、ヨガのポーズの時は不思議と腰を使っている感じがしません。ヨガのポーズというのはできるだけ腰に負担がかからないように十分に計算されつくしたポーズなのでしょう。同様のことは膝などの関節にも言えるようです。


腰や膝といった年齢を重ねるにしたがって痛めやすい箇所に負担をかけずに、適度な脂肪燃焼と姿勢の矯正、さらには精神の安定まで、本当にヨガというのは健康にとって素晴らしい効果をもたらすのだと実感した今日一日でした。ただし、私の腰もある程度治ってからのことで、無理は禁物です。

 

男性でヨガをする人はまだまだ少ないようです。私と同じ男性のみなさん、健康のためヨガはいかがですか。もちろん女性もね。