風の旅人 - さすらい人のつぶやき

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リーダー不在の致命傷 鳥羽伏見の戦いでなぜ政府軍が敗れたか

皆さんは「鳥羽伏見の戦い」というと何を思い出すでしょうか?
幕末の戦い、旧幕府軍が負けた戦、京都近辺での最後の戦争、などなど教科書に名前が出てきたなぁ、程度の記憶しか無いのではないでしょうか。
私はといえば、高校で日本史をとっていなったということもあり(言い訳です、はい 汗)、せいぜい「幕末で新政府軍の優位が確定し、のちの江戸無血開城をもたらした戦い」程度の知識しかありませんでした。

先日観たNHKの「ヒストリア」ではこの「鳥羽伏見の戦い」を旧幕府軍からの視点から分析しており、負けにいたった経緯を面白く解説していました。この番組をもとに「リーダー不在」あるいは「リーダーの求められる意識の不在」という観点で分析してみようと思います。


二人のリーダーの存在、それゆえのリーダの不在

私が見るに「鳥羽伏見の戦い」前夜、旧幕府軍には実質二人のリーダーが存在しています。しかもその二人のリーダーは戦いに関する考え方が真逆です。この時旧幕府軍の戦力は新政府軍に比べて圧倒的に優位だったことが、この異なる考え方に拍車をかけます。

圧倒的な戦力をもとに、西郷隆盛率いる新政府軍を徹底的に叩くべし、と唱える滝川具挙(ともたか)
圧倒的な戦力を背景に、交渉を優位に進め世論を味方につけ、徐々に自分の思惑どうりに事を進めようとする徳川慶喜

さしずめ、戦いにより力により勝利を目指す武将と、交渉により知恵により勝利を導き寄せようとする政治家といったところでしょうか。「力」と「知」というこの二つの力は同じ目的で同じ方向に作用すれば、相乗効果をもたらしとてつもない力を発揮するのでしょうが、いったん反対の方向を向くと互いの力を弱めることになります。

決して史実としてだけではなく、現代における様々な問題でも見受られることです。
また自分の心の中でもこの「力(暴力という意味ではない)」と「知」の葛藤はよくあることではないでしょうか。

反対の方向を向く「力」のリーダーと「知」リーダーの存在は互いを弱体化させ、実質リーダーの不在をもたらします。一方の新政府軍は一人のリーダーが「力」と「知」の両方を備え、同じ方向に向けることが可能でした。西郷隆盛です。

 

「力」のリーダーの落とし穴

戦前の戦力の差では旧幕府軍が圧倒的でした。兵隊の数で3倍、さらにフランス製の最新武器を備えていたといいます。このフランス製の最新武器はとても素晴らしく、旧型の銃が準備を含めて一発撃つ間に、4発撃てるほど性能が高かったらしいのです。加えて戦術もフランスから指揮官を呼んで習わせ訓練していたということです。どこをどうとっても旧幕府軍にとっては「負けるはずのない」戦いだったのです。

この圧倒的な戦力のもと滝川具挙は鳥羽街道を北上、新政府軍の本拠地である京都を目指します。対する新政府軍はこれを阻止すべく鳥羽街道の途中で道をふさぎます。この鳥羽街道で対峙したとき双方の行動が明らかに違います。新政府軍は時間稼ぎをしつつ、その間に少ない兵を自分の陣に少しでも有利になるように配置します。一方旧幕府軍は戦いになるはずもないとの油断のもと新政府軍の時間稼ぎにまんまと付き合わされます。

圧倒的な戦力差のもとそもそも戦いになるはずも無い、とリーダーが油断してしまったのです。そのリーダーの油断は末端の兵士にまで波及します。なんと、戦いの最中にあって銃に弾を込めていないという決定的なミスを犯します。結果、新政府軍の急襲によりまともな反撃もできず旧幕府軍は大敗を喫し、北上をあきらめ旧幕府軍の傘下にある淀藩の城に逃げ込もうとするのです。

 

リーダー不在によるコミュニケーション不足という落とし穴

淀城は周りの水路に囲まれた難攻不落の城と言われていたそうです。初戦で敗退したとはいえ、まだまだ圧倒的な戦力さを誇る旧幕府軍、淀城に一旦逃げ込み体制を立て直せば十分に反撃にチャンスは生まれたことでしょう。ところがここで驚くべき事態が生じます。幕府に忠誠を誓っていたはずの淀藩が旧幕府軍の入場を拒否したのです。歴史上この淀藩の行動を裏切り、と呼ぶことが多いようですが、実際には淀藩には生き残りをかけたやむを得ない事情があったのです。

このような事態をもたらした原因は一言でいうと、淀藩が旧幕府軍にもった不信感でしょう。「力」と「知」の反目は、状況を俯瞰的にみるリーダーの不在を招きます。誰も戦略的に自分たちの見方を統率することができなかったのです。統率するための基本はコミュニケーションです。旧幕府軍は淀藩に対しなんら状況の説明も連絡もなく、当然自分たちの見方をするのもだと決めつけていました。状況がわからない淀藩は不安に陥ります。一方で新政府軍からは旧幕府軍に味方をしないようにと、圧力がかかっていました。

不安な状態に置かれ、コミュケーションがほとんどない状態で曖昧な態度をとられている立場の人間や組織は、その相手を信じることはできないのです。

ついに旧幕府軍大阪城まで引き上げることになります。

 

「知」のリーダーの弱さ

大阪城には「知」のリーダー徳川慶喜がいます。慶喜をリーダーとして大阪城で新政府軍を向かい討とうと武闘派の兵士は意気盛んです。慶喜はリーダーの本領を発揮しようと自らの言葉で、大阪城を枕に一戦を交えようと兵士を鼓舞するのです。ところがここで慶喜は謎の行動をします。さんざん兵士を鼓舞しながら、自分は側近とともに大阪城を出、江戸に向かったのです。「敵前逃亡」です。

ここに「知」リーダーの弱さが見て取れます。もともと圧倒的な戦力さを背景に戦わずして勝利を目指していたリーダーが、戦力が徐々に削がれ自分の思惑が外れたとき、慎重に状況を判断しリスクを回避する選択を選ぶのは理解できなくもありません。「知」のリーダーはリスクを計算し、少しでも負ける確率がある勝負をしなかったのです。そこにあるのは「判断」であり「決断」ではありません。リーダに必要なのは「判断力」ではなく「決断力」です。慶喜は決断できなかった。腹をくくれなかったのです。


リーダーの求められる資質とは

この「鳥羽・伏見の戦い」における旧幕府軍の敗北からリーダーに必要な資質が見えてきます。一つ目は常に冷静に状況を分析し決して過信しないこと、二つ目は味方の戦力を俯瞰し常にコミュニケーションをとり結束を固めること、最後に覚悟を決め必要な時には「決断」することです。

史実から学べることはたくさんあると思われます。それは戦いの勝利者の立場からその要因を調べるだけにと止まらず、今回のように敗者の視点から何が足りなかったのか、ということを調べることにもよるでしょう。そしてこれらの分析は今のビジネスの世界にも重要な示唆を与えてくれるものと思います。