風の旅人 - さすらい人のつぶやき

スナフキンのように飄々と生きています

絵画に込められた物語

 

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プロセルピナ

上の3枚の絵を見てほしい。とても美しい女性が描かれています。想像がつくと思いますが、一人の女性を描いたものです。ですが実際にはこの絵には二人の女性が重なっているのです。さらにこの絵を描いた画家に関係するある絵が、さらに別の二人の人生を描いています。絵画はそのものの美しさだけではなく、その絵のテーマとそれをめぐる人間関係によって、複雑な感情を我々に呼び起こしてくれるのです。


プロセルピナと ジェーン・バーデン

3枚の絵はローマ審査に登場する春の女神、別名冥府の女王と呼ばれるプロセルピナを描いたものです。詳細はここでは触れませんが、彼女は一年のうち6か月を愛するアドニスのために地上で、残り6が月を夫であるプルートのため地下で暮らすことを運命づけられます。この原因の一つとなっているのが彼女の持っているザクロです。美しい中にも全体に愁いをたたえているのはそんな彼女の過酷な運命がにじみ出ているからでしょう。

先にも書いた通りこの絵に絡んでもう一人の女性が登場します。この絵の実際のモデルとなったジェーン・バーデンという女性です。彼女にはウィリアム・モリスというイギリスの詩人かつデザイナーという肩書をもつ多彩な男性を夫がいました。ところが彼女には以前から心に想う男性がいたのです。それがこの絵を描いた画家、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティなのです。

結婚する以前から二人はモデルと画家という関係を通して知り合っており、ずっと相思相愛だったようです。驚くべきはこの事実を知ったバーデンの夫のモリスのとった行動です。彼はなんと二人の関係を受け入れ、恋人のロセッティと、夫のモリスの双方に愛情を持つことをバーデンに許したのです。

絵画を通してその絵に描かれている女性プロセルピナと、その絵のモデルとなった女性バーデンの二人の女性の人生が重なり合っているのです。

 

画家ロセッティ

3枚の絵を描いたロセッティという画家はどんな画家だったのでしょう。彼はイギリス人のラファエル前派の創設者の一人で、画家としてだけではなく詩人としても評価されています。さらに室内装飾を手掛けるモリス商会というデザイナーを中心とした組織にも属していました。モリス商会・・・そうジェーン・バーデンの夫ウィリアム・モリスが中心となって興した組織です。ロセッティはモリスと互いに芸術家として認め合い、そして友人でもありました。

端正な容姿をもつロセッティは多くの画家同様女性に人気がありました。そんな中自分の絵画のモデルとなったジェーン・バーデンと恋仲になったのです。しかも友人の妻でとなった女性とです。彼らが知り合うのはバーデンが結婚する前のことです。自分が思いを寄せていた女性が自分の友人と結婚し、それでもあきらめきれずその女性と愛を分かち合う。しかも彼女の夫兼友人の許しの元、彼女との関係を続けてしまう。ロセッティの気持ちはどのようなものだったのでしょう。

彼は上にあげた3枚のプロセピナにとどまらず、一生のうちに18版のロセッティを描いています。


もう一枚の絵

プロセルピナからバーデン、そいてロセッティへと続く因果はこれだけにとどまりません。ロセッティには妻がいました。バーデンに想いを寄せていたころにはなんと婚約者がいたのです。そしてバーデンがモリスに嫁いだ後、その婚約者と結婚しています。その名はエリザベス・シダル。彼女もまた画家のモデルを務めていました。そのモデルとして代表的な絵が、あのミレーのオフェーリアです。

 

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ミレーの名作「オフェーリア」

 

この絵でミレーはシダルを実際の水の中につからせ、リアルな状況を再現しています。シダルはもともと病弱であったらしく、このモデルのあと体を壊したらしいのです。さらに夫の他の女性との関係(このときの相手はバーデンではない)、子供の死産が重なり精神的に病み、ついには致死量のアヘンチンキを飲み命を落としています。

夫の十分な愛を得られず失意のうちに命を落とす。これはまさに愛するハムレットが狂人となったと信じ、失意のうちに自ら命を絶ったオフェーリアそのものと言えるでしょう。ここでもまた絵画を通して二人の女性の人生が重なりあっているのです。

 

絵画の楽しみ方

ロセッティという画家の描いた絵を通して、テーマの対象である女性と絵のモデルの女性の悲しい人生が、しかも2組の人生が見えてきました。

絵画の楽しみ方は人によって色々あることでしょう。絵画そのものを楽しむ、絵画に描かれているテーマを味わいながら楽しむ、さらにそれを描いた画家や周辺の人間関係、時代関係を考えながらその背景のストーリーを思い描きながら楽しむ。


いずれの楽しみ方も個人の自由でありましょう。しかし、今回のロセッティに関係した二人のモデル、バーデンとシダルの人生を想うと絵画に纏わりつく悲しくも深い物語につい心が動いてしまうのです。

 

プラトンとは何者か?

哲学者といえば必ずと言っていいほど名前が出てくるプラトン。ご存知の通りプラトンは多くの哲学書を書いている。だが、そのほとんどがソクラテスの対話について書いたものであり、プラトン自身が出てくることはほとんどない。対話の相手にすらなっていない。改めて考えると不思議なことが多い。一体プラトンとは何者なのであろうか。

 

プラトンの対話篇


プラトンの著作は現在の凝っているもので36作品あると言われている。その中にはプラトン以外の著作も紛れ込んでいるとも言われていますが、それでも30前後はプラトン自身が書いたものだとされている。これら対話篇には次の5つの特徴がある。

 

  1. ソクラテスというメインキャラクターが登場する。対話の相手は一人のときもあれば複数人のときmこある。
  2. 時間、場所、語り手が設定されており、登場人物も実在の人物であり、将軍、ソフィストから若者までバリエーションに富んでいる。
  3. アテナイの日常的な場所が舞台になっている。
  4. 日常的な話し言葉で問いと答えのやり取りが行われている。ソクラテスの演説やスピーチといったものではない。
  5. プラトン自身が登場しない(わずか3回だけ、しかもプラトンが話すのではなく、単に会話の中で言及されているだけ)。

 

簡単に言うと、明確に状況が説明された(したがって現実に起きた物語として)アテナイの日常的な場所で、ソクラテスが実在の人物と日常的な言葉で会話をしている。それをプラトンがその会話に参加することが一切なく、記録したもの、ということができる。
最も不思議なのはプラトンがほとんど出ておらず、ましてやプラトン自身が自分の意見を述べている場面が一切ないことである。要するにプラトンは自身の言葉として自分の考えを一切述べることはしていないのである。

だがしかし私たちはプラトンの作品を通じて得られた哲学を「ソクラテス哲学」とは言わず、「プラトン哲学」と呼ぶ。一体それは何故なのだろうか。

 

対話篇におけるソクラテスの存在


まずプラトンの対話篇について重要となるソクラテスの存在について考えてみる。西洋哲学を専門とする東京大学納富信留教授によるとプラトンの対話篇に出てくるソクラテスに関して二つの誤解がなされているという。

1つ目の誤解は、プラトンソクラテスが実際に行った会話を忠実に再現、報告している、というものである。2つ目の誤解は、プラトンが自分の考えをソクラテスに代弁させているというものです。納富教授はいずれも貧困な解釈だという考えを示している。

納富氏はプラトンの対話篇に出てくるソクラテスは、プラトンの想像によつ産物だという。すなわち、プラトンは生前の対話を通じて知りえたソクラテスをもとに、ソクラテスだったらこの問題をどう考えるだろうか、あるいはソクラテスだったらこういう質問に対してどうこたえるだろうか、ということを自分の心の中で想像しながら作っている、ということである。確かに対話篇を読んでみると、プラトンはむしろソクラテスの立ち場というよりもソクラテスの対話相手の立場に近いのではないか、と思われる場面もいくつかあります。

ソクラテスの死後、ソクラテスに関しての著作が200近く書かれたといいます。プラトンは、ソクラテスの影響を受けた人たちが互いの哲学思想を対抗させながら作っていく過程の中で、自分の心の中にあるソクラテスを対話という形で表現したとみることができるのである。

 

ソクラテスの不知の自覚


ご存知のようにソクラテスは対話を通していろいろな思想を伝えてはいますが、何も書かなかった。要するに自分の思想・哲学を何も残さなかったのだ。あるのはプラトンの対話篇のみですが、この中でソクラテスは一体何を残したのだろうか。

プラトンの対話篇に書かれている中で、ソクラテスは特定の問題についてたまたま出会った相手と議論をする。例えば、正義について、あるいは勇気について。その中でもソクラテスは「私はこう思います」とか「私の理論はこうです」といったことを決して話さない。「私はよくわからないので、あなたの考えを聞かせてください」というだけなのだ。例えばラケスとニキアスという二人の人物相手との「勇気とは何か」という問いは典型的である。二人は百戦錬磨の将軍でソクラテスの問いに対し「勇気とは線上でととどまって逃げないことだ」と答る。それに対して、ソクラテスは「でも、時と場合によっては撤退することも勇気ではないですか」とツッコミを入れる。決して自分の意見を言うのではなく、相手の意見を深堀しようとするのである。こういうやりとりの末行きつくのは、最終的にわからなくなった、あるいはよくわかっていなかった、という結論になる。

 

プラトンの対話篇の持つ意味


要するにソクラテスの議論の先は、何かを知る、ことではなく、これ以上進めないという意味を持つギリシア語の「アポリアー」という状態である。すなわちプラトンの対話篇から知識を得たり、何か有益なスキルを得たりすることはできないのである。
数年前にマイケルサンデル教授による「正義とはなにか」という講義がNHK「白熱居室」シリーズの中で放映されたことを覚えている人も多いだろう。その中でも「正義とは何か」という問いへの回答はなかった。あるのはいろいろな質問に対し、生徒同士による真向から対立する意見のぶつかりあいであった。そしてその意見のぶつかり合いの中から互いの意見を深め、より良い自分を考える、そういう方向性が感じられたものだ。サンデル教授自身も「このような異なる意見をぶつけ合う議論を日常的に行い、考えることによって、自分の生きる姿勢を見つめ、そしてよりよいものにすることが重要だ」といった趣旨のことを述べていたように思う。

プラトンの対話篇もそのような位置づけなのだろう。そこから知識や知恵を得る、というものではなく、ソクラテスという哲学者をメインとした会話を通して、我々がいかにその問題を問うものと問われるもの立場に立脚しながら考えていくか、その思考方法にこそ意味があるのだと思う。プラトンとは哲学や思想そのものを我々に提示したのではなく、哲学や思想にどう向き合い考えるのかその方法論を提示してくれた人物であると思うのである。

 

裏を見せ・・・

 

「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」


良寛が最後に読んだ歌とされています。死期の迫った良寛を見舞った貞心尼への最後の言葉だとも言われています。この歌の素晴らしさは何といっても舞いながら散っている紅葉の情景の美しさを生き生きと表していることでしょう。それと同時にふと不思議に思うのはなぜ「裏を見せ」と裏から言葉が始まるのか、ということです。表ではなく裏というところに何かしらの奥ゆかしさを感じるという向きもあるが、何かそこには特別な意味でも込められているのだろうか、とふと考えさせられました。

 

六義園の夜の紅葉


先日六義園でライトアップされた紅葉を見てきました。インターネットで見る一見派手な演出とは異なり実際のライトアップはかなり控えめでショーアップされたものではなく、むしろ夜の闇の中に浮かび上がる紅葉をたのしむ、そういう演出がなされていました。わびさびを楽しみましょう、そういう意図が強く感じられるものでした。
当日は土曜ということで入り口には数十人ほど並んではいましたが、誘導がスムーズに行われたせいか十数分ほどで中に入ることができました。そのまま順路に従って進みましたが、それはもう暗闇に近い状態でもし周りの多くの人がいなければキャンプの肝試しか、と思われるほどでした。十メートル先に見えるライトを目指し前に進みますが、そのライトも控えめで淡く照らすといったものでした。

 

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紅葉の何を見ているか


自然のままの夜の紅葉を楽しむことができた、そう感じました。そして同時にあることに気づきます。ライトはほぼ下からあてられています。私たちはそれを下から見ます。そう、紅葉の葉を下から見上げるのです。遠方からの写真ではほぼ横から角度で紅葉が見えます。最近ではドローンを使って上からの紅葉を見ることができます。ですが、実際に紅葉を鑑賞するとなると、下から見上げることになり紅葉を葉の裏を必然的に見ることになります。「紅葉は葉の裏が美しい」そう言った芸術家もいたそうです。この葉の裏を楽しむ姿勢に日本人のわびさびを感じた瞬間でした。

 

再び良寛の歌を


そう良寛の歌が「裏を見せ」から始まるのは、私たちが自然に紅葉を見るときには必然のことなのです。紅葉はいつも渡したに裏を向けています。そしてはじめはその裏を見せながら落ち、回りながらときには表を見せながら散っていくのです。いつもは裏を見せ、散るときにはじめて表を見せる、しかもほんの一瞬まわりながら落ちながら見せる、この奥ゆかしい紅葉のあり方は、空庵を転々とし質素な生活をつづけた良寛その人の生きざまを見せているともいえるでしょう。

 

自分の目で見、体で感じることの大切さ


私たちは技術の発展のおかげで家に居ながらにして写真や動画で美しい光景を見ることができます。しかし今回の私の経験のように実際に現場に出かけ、自分の目で見ることによってはじめて気づき感じられることがあることを胸に刻んでおくことが必要です。六義園の園内はそれなりに人で混み合っていました。ゆっくりとしかし流れるように前に進めば、多少の混雑はあってもストレスなく鑑賞できるはずでした。実際には一部の人たちのせいでかなり混雑が生じました。それはスマホをとるために立ち止まる人たちによるものです。彼らは自分の目で見ることを放棄しているように思えました。長く立ち止まり何枚もスマホで写真をとり、撮り終えるとさっさと歩き始める。そしてまた写真映えする場所で立ち止まる、その繰り返しなのです。彼らの目には実際の紅葉の美しさは映ったのでしょうか。紅葉の葉の裏がこんなにも美しいこと見ることができたのでしょうか。裏を見せながら落ちる紅葉のはかなさに気づき、そこに儚さを感じることができたのでしょうか。
とても残念な気がしました。

 

最後に


前回そして今回出向いた小石川後楽園六義園のような大名庭園は偶然残ったものではありません。「残す」という意思のもと多大な資金と多くの人の努力によって保たれたものです。鏡のような池の水面に移る景色はとても素晴らしいものでした。しかしこの透き通った池を保ったためにそうとうの浄化設備が整えられているはずです。そういう見えない裏の準備によって昔と同じような美しい景色を私たちは見ることができるのです。
都会のど真ん中には数多くの大名庭園があります。こんな恵まれた環境があるでしょうか。ぜひ一度身近の大名庭園に出かけ、自然の美しさを自分の目で見、自分の体で感じてみてはいかがでしょう。

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リーダー不在の致命傷 鳥羽伏見の戦いでなぜ政府軍が敗れたか

皆さんは「鳥羽伏見の戦い」というと何を思い出すでしょうか?
幕末の戦い、旧幕府軍が負けた戦、京都近辺での最後の戦争、などなど教科書に名前が出てきたなぁ、程度の記憶しか無いのではないでしょうか。
私はといえば、高校で日本史をとっていなったということもあり(言い訳です、はい 汗)、せいぜい「幕末で新政府軍の優位が確定し、のちの江戸無血開城をもたらした戦い」程度の知識しかありませんでした。

先日観たNHKの「ヒストリア」ではこの「鳥羽伏見の戦い」を旧幕府軍からの視点から分析しており、負けにいたった経緯を面白く解説していました。この番組をもとに「リーダー不在」あるいは「リーダーの求められる意識の不在」という観点で分析してみようと思います。


二人のリーダーの存在、それゆえのリーダの不在

私が見るに「鳥羽伏見の戦い」前夜、旧幕府軍には実質二人のリーダーが存在しています。しかもその二人のリーダーは戦いに関する考え方が真逆です。この時旧幕府軍の戦力は新政府軍に比べて圧倒的に優位だったことが、この異なる考え方に拍車をかけます。

圧倒的な戦力をもとに、西郷隆盛率いる新政府軍を徹底的に叩くべし、と唱える滝川具挙(ともたか)
圧倒的な戦力を背景に、交渉を優位に進め世論を味方につけ、徐々に自分の思惑どうりに事を進めようとする徳川慶喜

さしずめ、戦いにより力により勝利を目指す武将と、交渉により知恵により勝利を導き寄せようとする政治家といったところでしょうか。「力」と「知」というこの二つの力は同じ目的で同じ方向に作用すれば、相乗効果をもたらしとてつもない力を発揮するのでしょうが、いったん反対の方向を向くと互いの力を弱めることになります。

決して史実としてだけではなく、現代における様々な問題でも見受られることです。
また自分の心の中でもこの「力(暴力という意味ではない)」と「知」の葛藤はよくあることではないでしょうか。

反対の方向を向く「力」のリーダーと「知」リーダーの存在は互いを弱体化させ、実質リーダーの不在をもたらします。一方の新政府軍は一人のリーダーが「力」と「知」の両方を備え、同じ方向に向けることが可能でした。西郷隆盛です。

 

「力」のリーダーの落とし穴

戦前の戦力の差では旧幕府軍が圧倒的でした。兵隊の数で3倍、さらにフランス製の最新武器を備えていたといいます。このフランス製の最新武器はとても素晴らしく、旧型の銃が準備を含めて一発撃つ間に、4発撃てるほど性能が高かったらしいのです。加えて戦術もフランスから指揮官を呼んで習わせ訓練していたということです。どこをどうとっても旧幕府軍にとっては「負けるはずのない」戦いだったのです。

この圧倒的な戦力のもと滝川具挙は鳥羽街道を北上、新政府軍の本拠地である京都を目指します。対する新政府軍はこれを阻止すべく鳥羽街道の途中で道をふさぎます。この鳥羽街道で対峙したとき双方の行動が明らかに違います。新政府軍は時間稼ぎをしつつ、その間に少ない兵を自分の陣に少しでも有利になるように配置します。一方旧幕府軍は戦いになるはずもないとの油断のもと新政府軍の時間稼ぎにまんまと付き合わされます。

圧倒的な戦力差のもとそもそも戦いになるはずも無い、とリーダーが油断してしまったのです。そのリーダーの油断は末端の兵士にまで波及します。なんと、戦いの最中にあって銃に弾を込めていないという決定的なミスを犯します。結果、新政府軍の急襲によりまともな反撃もできず旧幕府軍は大敗を喫し、北上をあきらめ旧幕府軍の傘下にある淀藩の城に逃げ込もうとするのです。

 

リーダー不在によるコミュニケーション不足という落とし穴

淀城は周りの水路に囲まれた難攻不落の城と言われていたそうです。初戦で敗退したとはいえ、まだまだ圧倒的な戦力さを誇る旧幕府軍、淀城に一旦逃げ込み体制を立て直せば十分に反撃にチャンスは生まれたことでしょう。ところがここで驚くべき事態が生じます。幕府に忠誠を誓っていたはずの淀藩が旧幕府軍の入場を拒否したのです。歴史上この淀藩の行動を裏切り、と呼ぶことが多いようですが、実際には淀藩には生き残りをかけたやむを得ない事情があったのです。

このような事態をもたらした原因は一言でいうと、淀藩が旧幕府軍にもった不信感でしょう。「力」と「知」の反目は、状況を俯瞰的にみるリーダーの不在を招きます。誰も戦略的に自分たちの見方を統率することができなかったのです。統率するための基本はコミュニケーションです。旧幕府軍は淀藩に対しなんら状況の説明も連絡もなく、当然自分たちの見方をするのもだと決めつけていました。状況がわからない淀藩は不安に陥ります。一方で新政府軍からは旧幕府軍に味方をしないようにと、圧力がかかっていました。

不安な状態に置かれ、コミュケーションがほとんどない状態で曖昧な態度をとられている立場の人間や組織は、その相手を信じることはできないのです。

ついに旧幕府軍大阪城まで引き上げることになります。

 

「知」のリーダーの弱さ

大阪城には「知」のリーダー徳川慶喜がいます。慶喜をリーダーとして大阪城で新政府軍を向かい討とうと武闘派の兵士は意気盛んです。慶喜はリーダーの本領を発揮しようと自らの言葉で、大阪城を枕に一戦を交えようと兵士を鼓舞するのです。ところがここで慶喜は謎の行動をします。さんざん兵士を鼓舞しながら、自分は側近とともに大阪城を出、江戸に向かったのです。「敵前逃亡」です。

ここに「知」リーダーの弱さが見て取れます。もともと圧倒的な戦力さを背景に戦わずして勝利を目指していたリーダーが、戦力が徐々に削がれ自分の思惑が外れたとき、慎重に状況を判断しリスクを回避する選択を選ぶのは理解できなくもありません。「知」のリーダーはリスクを計算し、少しでも負ける確率がある勝負をしなかったのです。そこにあるのは「判断」であり「決断」ではありません。リーダに必要なのは「判断力」ではなく「決断力」です。慶喜は決断できなかった。腹をくくれなかったのです。


リーダーの求められる資質とは

この「鳥羽・伏見の戦い」における旧幕府軍の敗北からリーダーに必要な資質が見えてきます。一つ目は常に冷静に状況を分析し決して過信しないこと、二つ目は味方の戦力を俯瞰し常にコミュニケーションをとり結束を固めること、最後に覚悟を決め必要な時には「決断」することです。

史実から学べることはたくさんあると思われます。それは戦いの勝利者の立場からその要因を調べるだけにと止まらず、今回のように敗者の視点から何が足りなかったのか、ということを調べることにもよるでしょう。そしてこれらの分析は今のビジネスの世界にも重要な示唆を与えてくれるものと思います。

 

伝説の予備校教師 奥井潔先生

先生によって人生を大きく変えられた経験が3度ある。その2度目の経験で出会ったのが駿台予備校時代の奥井潔先生だ。英語を担当しており、もちろん英語教師としても素晴らしい授業をしてくれたのだが、奥井先生の場合それ以外の授業内容が素晴らしかった。

 

最初の授業から驚かされたものだ。180㎝越えの柔道で鍛えられた体をのっそのっそと揺らしながら教室に入ってきて、大きな目をぎょろつかせながらいきなり「君たち、skin depthという言葉は知っているか」と聞いてきた。とまどう私たちを睨みながら奥井先生は言った。「皮一枚剥げば美人もただの肉」そう言いながら、黒板の前を歩き回る。その後はひたすら恋愛講座である。我々はいかに女性の美しさに惑わされる生き物か、恋愛というものの前には自分の信念などすぐに吹っ飛んでしまう、と。スタンダールからドフトエフスキーまで恋愛に関係する小説の話をしまくった。

 

「大学に入ったら勉強もいいが恋愛をしなさい。その方が人生にとってよほど有意義だよ」とそうも言った。

 

恋愛の話だけでは無い。美とは何か、真理とは、人の心とはどう動くものなのか、人生にとって必要なことについて基本中の基本を教えてくれた。今の私の考え方も奥井先生の授業に大きく依存している。

 

こんな素晴らしい先生に、あんな面白い授業にもう出会うことは無いと思っていたが、今年に入って出会ってしまった。人生を変えられた3度目の経験である。もっと早く出会いたかった、と心底思えたものだ。その先生とは、その授業とは、これもまた機会が来たら書くことにしよう。

デート代は割り勘か?

私はある恋愛サイト専属で恋愛相談の仕事をしています(本職ではありません)。男性であること年齢がかなり上であることから、若い女性からの恋活や恋愛中の問題はさほど多くありません。その一方多いのが年齢層が高い女性からの不倫や婚活の相談です。不倫の相談では相手の男性が有名人であったりする場合もあり、回答するにもかなり神経を使います。

 

色々な状況での相談がある中で、共通の話題というのもあります。その一つがデートでの支払いの問題です。多くの女性はやはりデート代、中でも食事代は男性が支払ってほしい、というのが本音のようです。借りを作るのが嫌だと割り勘派の女性もいますが、やはり数は少ないです。バブル時代のように収入が多かった時代は男性が支払うのが当たり前でしたが、昨今の収入が少なくまた男女の収入差が縮まった今は割り勘が多いようです。

 

私個人としては、デート代は男性が支払うべきだと考えています。理由は女性の方がデートの準備にお金がかかるからです。普段に美容に時間とお金を費やしたり、服装にお金をかけたり、男性よりも恋愛に関係する出費が多いからです。デート前の準備の時間も男性の比ではないでしょう。ですから、世の男性よ、デート代は出しなさい、それが無理でも自分がより多く出すように、と声を上げたい。

 

ただし実際に女性から割り勘の相談を受けたときには、男性のやり方に従うようにアドバイスしています。男性に「金のかかる女」と思われたら恋愛が長続きしないからです。こういう場合、デート代だけに目を向けるのではなく、彼のお金に対する考え方を長い時間をかけて理解するように努めるのがいいでしょう。